MOMAで50年に一度の展示と噂のPICASSO SCULPTUREに行ってきた!

MOMAの4階の展示がまるごとPICASSOに置き換わっていました。2月までのようなのですが、今休暇なので慌てて行ってきました!!もしかしたら、ピカソってあのよくわからない画家でしょ?と言いたい方も大勢いらっしゃると思います。

「でも、違うの!是非見て!この 予想や想像のはるか上を行くエンタメ力を!!」

と、私は言いたい。ピカソの絵と聞いてすぐに思いつくのは、キュビズムと言われるカクカクの線で人間を表現したものを思いつくんじゃないでしょうか。
まぁ、実は私はそれが1番好きなんですが・・・

ピカソは幼少期20歳にもならないくらいから、10歳そこそこくらいの頃から、そりゃもうべらぼうに絵がうまかったのです。
ただ、写実的に描くということは、写真と変わりませんので、私は現代においてそこに凄みを感じません。
現代において、将来的にもロボットには置き換えられない職業に共通すること、それは「想像力」です。
そして「創造力」も必要になってきます。

いやーほんとにPICASSOの彫刻は素晴らしかった。全部「当たり前」という部分は綺麗に欠落していたように思います。
大人になるにつれて頑張ってPICASSO自身が捨て去った物なんでしょう。

彫刻は絵と違い、後ろからも楽しめます。
そこがまた素晴らしいのです。360度どこからでもバランスのとれた作品に仕上げるのは、絵の大変さの比ではありません。
2Dから3Dは単に軸が一つ増えるだけではないのです。
時間も労力もセンスももっと必要になってきます。(私見です)

ピカソの今回の彫刻展で最も素晴らしいと感じたのは、恐ろしいまでのチャレンジ精神。色んな素材、色んな題材。
多作で知られる画家ですが、ここまで幅広い画材で人生を表現しつくした人物は後にも先にもいないのではないでしょうか。
様々な素材をいとも簡単に、その素材しか使ったことのない、人類の宝と呼ばれるような世界のマスターピースの作品と同等に仕上げてしまっているのです。
石、段ボール、鋳金、紙、石膏本当に様々です。すでに生前に名声を手にしていたピカソには、お金の話だけをすればチャレンジする必要はいっさいありませんでした。絵だけ描いていても十二分に富も名声を得ていたからです。それでもその自分に満足せず、芸術を追求していった冒険家としても尊敬の念が湧き上がります。

芸術家はどの時代においても生活費を稼ぐという部分がネックになることも多いのですが、富と名声に甘えず、その富があるからこそ様々な素材、大きなキャンバスに描けた、そして現代の人は、その絵を見ることができる、その全てが人類の幸運のように私は感じているのです。
そして、MOMAは絵画の階においては、同時代を生きた作家ブラックの作品のとなりに、ブラックのようにうまくかいたピカソ作の作品を並べて展示するなど、
私がピカソのファンになったきっかけを与えてくれた場所です。

芸大在学中に一度の訪れたのですが、その時はもう心底驚きました!なんて器用な。そうか、これが天才だったのか!と。

その時は細長い人間の彫刻をつくるジャコメッティの近くにおかれたピカソのヤギの彫刻にも驚きましたが、
今回は展示数が桁違い、MOMAの4階を全て覆い尽くしているのです。
奇想天外なそしてちょっとかわいい作品がたくさんありました。


  

ギターっていってこれつくるかよ!とかつっこみどころ満載の素晴らしい作品です。
弦がよれっとしてるのもいい感じです。

 


  
今回の展示作品の図録です。

MOMAは何度行っても素晴らしい体験を与えてくれます。やはり世界最高のモダンアートの殿堂ですね。

ただ、、、わかっていたことなんですが、アンディーウォーホルなどのMOMAのマスターピースは4階すべてPICASSOだったのがたたり、一作品もなかった…のです。それだけちょっと残念。でも仕方ないですね。そればっかりは。

ふいに訪れたNYでしたが、私にとっては垂涎ものの展覧会でした。

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